劇場版 モノノ怪をひとりで見に行った話

『劇場版モノノ怪 唐傘』を見てきたので、その話しをしたい。
もっと先に書かなきゃならない大事な話もあるはずだけど、記憶が新しいうちに書いておきたいんだもの。仕方ない。
そもそもの前提として、私はそんなにコアなモノノ怪ファンでも、薬売り推しでもない。
テレビシリーズを何年かに一度、思い出したように周回する程度である。
それでも、映画が公開されたと聞いて、xのななめ読みでさらっと情報を仕入れて、youtubeでエンドレスに予告を見て……いつもなら手軽に見られるところまで降りてくるのを待つが、がまんできずに劇場まで足を運んだ。
前に映画を見に行ったのはいつだったか、覚えてもいない。
多分10年は経っていると思う。
視覚優位でないせいか、映画を見るために移動時間含めて3時間使うのなら3時間家で本を読みたいと思ってしまうせいだ。
そんな自分が急遽ネットでレイトショーの座席取って、ひとり映画館に出かけたくらいだからモノノ怪のパワーは本当にすごいと思う。
以下、断片的に濃くネタバレしながら感じたことを書いていきたい。
モノノ怪の愉しみ方はけっこう人によって違うと思う。
ストーリーや暗喩などを楽しんだり、考察したい勢は、微妙にネタバレしているので読まない方がいいかもしれない。
そうでない、私のようなライト層は、結局あの唯一無二の世界をスクリーンの大画面と迫力の音響で体感してナンボだと思うので、立ち寄っていってもらっても差し支えないと思う。
書いていく。
ストーリーはマイルドな味付けに(少なくとも表向きは)
舞台が大奥ということ、予告編に「女の情念」「満たされない思い」「乾く」などの文字が躍っていたので、ストーリーにセクシャルな面が際立つのかと思ったら、そうでなく、悪い言い方をすれば肩透かしにあったし、安直で無知な自分を恥じた。
今後につなげる伏線か、それとも暗喩なのか今の段階では分からないけれど、少しそういうところもあったにはあったけれど。
テレビシリーズで目立った「間」みたいのも控えめで、するする進んでいくので、テレビシリーズよりも内容は分かりやすいと思った。少なくとも主脈の部分は。
モノノ怪らしいおぞましさや、なんとも言えないような人間の哀しさや愚かしさみたいのも控えめだと思う。
第一章というところで、大奥でも浅瀬の部分に光が当たっていたのかもしれないし、
初見でも楽しめるようなエンタメを作られたとのことなので、このぐらいのさじ加減で続くのかもしれない。私はこれはこれで、いいなと思った。
ただ、深読みすると「まさか……こういうこと?」「こうなのでは?」みたいなのは随所に散りばめられていて、繰り返し見たくなる衝動が掻き立てられる仕掛けは健在。
あと、細かいところだと、もののけが顕現する前に薬売りが現場に来ているのが珍しいと思った。「顕現するぞ!」とちょっと焦っていた様子からも、力を付けてしまう前に斬りたかったのかもしれない。
唐傘は厄介なもののけだったっぽいな、と。集合意識が餌になっているせいだろうか。
エンドロール背景の、中心の塔のようなものと浮世絵のようなものが描かれた柱も意味深だった。一柱から中心に伸びた綱が最後切れていたけれど、単純にものの怪を一体斬ったということなのか、それとも3本切れたあと封印的なものが解かれて何かが起きるのか……不穏な感じもあった。
10年以上ぶりに映画を見に行った自分も、ストーリーの細かいところを確認しにもう1回は行きたいと思っている。
でも、何度いってもスクリーンで見ると映像と音楽の圧倒的な力に屈してしまって、結局背景や細部は追えない気もする。エンドロールさえ主題歌が良すぎて、今度は画面が目に入ってこないんだ。
もはや散々あちこちで書かれているけれど、映像美と音楽に続く。
大スクリーンで浴びたくなる映像美
劇場まで行きたくなった理由はやっぱりこれだと思う。
感覚体験のなかでも特に視覚が弱い自分でも、見入ってしまうような美しい、独特の世界。
視覚が強い人だととんでもない刺激物だろうし、情報処理が追い付かないと思う。
音楽と映像の調和も素晴らしく、ストーリーが進むにつれて異空間にいるような錯覚さえ起こす。
劇場で味わわないともったいないだろうなと思ったら、やっぱりそうだった。
youtubeの特別番組で監督もおしゃっていたけれど、ストーリーを途中で見失ったとしても、終盤にかけて加速する映像と音楽を浴びるだけで十分楽しめる。
これは映画館で見ないかぎり表現しようがない。
アグレッシブな薬売りさん
テレビシリーズの薬売りさんに比べると、やや任務に熱心なご様子。
人を食ったような物言いや態度は控えめで、どちらかというと表情や言葉にもストレートに感情が滲んでいる。
動きも多いし、多いだけでなく派手。
予備知識がなくても別人だと分かる。
エンタメするにはテレビシリーズの薬売りさんより適役だったのかもしれない。
とはいえ、体さばきや指先の使い方、目線の動かし方や寄こし方など薬売りさんの魅力が余すところなく詰め込まれていて、推しの全ての人を満足させようという強い意気込みを感じた。
変身シーンの細かい描写もファンサっぽい。
公開前、薬売りさんにダイレクトに影響がある部分でいろいろな問題があったようなので、熱心な薬売りさん推しの方々には様々な思いがあるだろうと思う。
ライト層の自分としては、作品のいちパーツとして違和感なく……どころか、とても好意的に受け入れられた。
「坤(こん)」という陰の卦の退魔の剣のせいか(モノノ怪秘話大公開!スペシャルより)もともと中性的なテレビシリーズの薬売りさんよりもさらに女性的な感じがする。
ハイパーさんの戦闘シーンはよりアグレッシブで、もはやガンダムだった。
まとめ
テレビシリーズとは素材が同じでも別物だったと思う。良い意味で。
この変化はやっぱり、進化と言うかもしれない。
往年のモノノ怪が好きな人にはストーリーにも薬売りさんにも違和感があるかもしれない。
かといって、初見の人にはやっぱり訳が分からないかもしれない。
ただ、そのあたりの葛藤や鬱屈を、映像と音楽で薙ぎ倒すようなパワーがあってそれがすごいと思う。
種々の問題の統合に新たな方向性があることを気づかせてくれた。
勉強になりました。
2024 年頭所感
2006年の今頃は確か、春からの開業に向けて準備に奔走していたと思う。
希望に胸を膨らませて──などということはなく、ただタスクを粛々とこなしていたはずだ。
それは希望よりも不安の方が大きかったためと述懐してみるが、どうもそうとも違うような気もする。
若いときも今も思慮深い方であると自負しているが、それでもやっぱり恐れを知らなかったのだと思う。
あれから18年も経って、今もあのとき立ち上げた仕事をしているとは思いもしなかった。
思慮深いが計画的な方ではない。
金銭には執着がないし、社会的地位にも興味がない。
そのせいか現実に事をうまく運ぶことにはあまり価値を感じないのだろう。
金かステイタスに関心が高ければ、もう少し地に足をつけて生きていけただろうに、全く思っていたより残念な大人になったと思う。
こんなんだから、3年前子どもが生まれた後はちゃんとした大人にならなければ──と気張りすぎて、妙に保守的に考えたり、打算的に考えたりするようになって全く自分らしくなかった。
変化と複雑さを面白がる方だが、子どもの誕生によって激変した生活環境に、コロナ禍という壊滅的な変化が加わって自分なりに少し混乱していたのかもしれない。
しかし、何があったって、今さらちゃんとした大人になどなれるものか。
ちゃんとした大人になれる素養があったなら、そもそもこんな生き方選んでないはずである。
3年半も迷走して2023年末に何やら急に目が覚めたような感じがした。
2024年は自分らしい考えのもと、選択と行動を重ねていく。
その結果起きる事柄については自分で自分の尻を拭う。
いつだってそうしてきた。
好んでリスクを冒すわけではないが、いつしかリスクを負わないことが目的に挿げ変わってしまっていたように思う。
これでは、ちゃんとした大人になれなかったばかりか、つまらない大人になってしまっていた。
年を経ると良い点も悪い点もある。
積み重ねた経験と膨張した知識を糧に、危険をうまく制御しながら難しい課題に挑戦するというのは20代の頃にはできなかったアプローチだ。
年を食って良い点を最大限に生かし、悪いところはうまくなだめすかしながら仕事していきたいと思う。
うちの子どもは親ガチャに外れたのだろう。
世間一般で良い親とされるような条件や環境はきっと用意してあげられない。
しかし、悪条件の下、針穴に糸を通すようにしてこの世に生まれてきた子どもだ。
もちろん主治医をはじめとして、たくさんの医療関係の方々のお力添えがあったからで、感謝している。
病気がなければ私の人生に子どもはいなかったと思う。
彼自身の生命力と人生を楽しむ力を信じ、彼と自分の両方を尊重しながら親の責任を果たしたいと思う。
……「年頭所感」なのに、今日は1月11日である。
年明け1月4日に気持ちも新たに意気揚々と職場に来た。
しかし、翌日子どもは熱を出した。
風邪らしからぬ突発的な高熱だった。
嫌な予感がした。
アデノウイルスだった。
そういえば、年末咽頭結膜熱に罹患したお子さんがいらっしゃると園の掲示板で見た。
1週間飛んだ。
お客様にお詫びのメールを差し上げた。
物理的に仕事をできる時間は、子どもがいない時と比べて滅茶苦茶減っている。
お客様をはじめとして、人に迷惑をおかけすることも増えた。
心苦しい。
しかし、これが今の条件だ。
この条件下で何をどこまでできるのか考えて実践するしかないのだろうと思う。
【頂きもの】ローズメイのオレンジスライスジャム
ローズメイのオレンジスライスジャムをいただいた。

以前、カシスオレンジジャムを頂戴しているのだが……
な、なんと・・・! ローズメイのカシスオレンジジャムをいただいた。お噂どおりの純朴な味。クリームチーズとミントと合わせたら、頬っぺたが落ちるほど美味しかったよ!! pic.twitter.com/koUWiHhYYf
— せんたくびより Kana/札幌 (@sentakubiyori_k) 2017年6月14日
※もうツイッターはやめた。仕事に必要かもと7年もしがみついたけれど、楽しみ方も使い方も結局よく分からなかった
そのときも、本当はオレンジスライスジャムが欲しかったのに、残念ながら売り切れだったようで、今回偶然リベンジできたということで、恐れ多くも頂戴した。
主張のないソフト系パンの耳を落とし、軽くトーストしたものに乗せるのがいちばんのお勧めということで、実践。

味や香りがダイレクトに分かる。
国産のオレンジ使用ということで、皮の香りがすごくいいし、白いところ(なんていうの?)の苦みが上品。
お姉さまがおっしゃっていたとおり、並大抵のものだと完全に味や香りが負けちゃいそう。だからケンカしないようなシンプルなものに合うのか……
去年のお歳暮のおすそ分けでもらった、すっかり香りの抜けた紅茶を濃く出して炭酸で割った、勝手にティーソーダと呼んでいる、我が家の夏定番の飲み物とよく合った。
古い紅茶の飲み方としては、これが最高だと思う。なんでもおいしく感じる。
同封のローズメイさんの食べ方指南書に「肉料理に♪」とあり、これはうまそうだなと思ったところ、折よく実家の母から頂戴したお肉が冷凍庫に居たので、これまた実践。

もも肉だったので、オリーブオイルとにんにくで一晩マリネした。
そうするとフィレみたいになると、どこかのエライシェフが言っていたのを小耳にはさんだので。
強めに塩コショウして焼いただけのものに、オレンジをどーんと贅沢にいってみる。
うーん、なんかちょっと違ったかもしれない。
もうちょっと脂のある肉のほうが合いそうだった。若干、オレンジに負け気味。
そのくらい、オレンジの存在感と香りがすごいぞ。
というわけで、またいただきもので美味しく楽しい時間を過ごさせていただいた。
感謝。
感激のいただきもの
10年来のお付き合いをさせていただいているお客様から、ある日、封書が届いた。

別の土地に滞在されたときのことをまとめた、滞在記である。
店に足をお運びいただいた際に、昨年2か月ばかり、ある地方へ滞在されていたこと、その経緯などを聞かせていただき、そのとき見たことや感じたことなどを、札幌に戻ってから主にご家族のために滞在記としてまとめられたということを知った。
そこで、私はわがままなお願いをしていたのだ。
もし可能であれば、ぜひそれを読ませていただきたいと。
ご家族のためにしたためられたものを読ませて欲しいとは、なんとも図々しいお願い。
しかし、なんと、私の不躾なお願いに応えてくださったのだ!
感激した。
ネットで地図を開きながら、何度もくりかえし読んだ。
訪れた史跡や寺社が写真つきで、歴史的な背景とともにていねいに説明されており、ところどころに北海道とは全く違う生活環境を覗かせるエピソードも書かれている。何よりもご家族へ対する尊敬や愛情が随所ににじまれていて、読んでいてとても温かい気持ちになったし、心洗われるような気がした。
滞在されることにした理由も素敵(ここには書けない!)だけれど、戻ってからそれをこうしてまとめるなんて、なんて豊かな時間の使い方だろう。
憧れる。
たびたび達筆で、温かい言葉をつづった葉書をいただくこともあり、若輩者の礼儀知らず(しかも字も汚い)が手紙を書くには大層勇気がいったが、この感激と感謝をどうしてもお伝えしたく、ペンをとった。
その際には、昨年入手した万年筆のペン先を洗い、コンバーターとインクを入れ替えて心を整えてから臨んだ。常識を知らないので、非礼があったかもしれない。にもかかわらず、海外のご友人からいただいたという素敵な絵葉書でまた温かい言葉をいただいた。
いただいた滞在記は大事に保管している。
もう少し年を重ねたときに読み返すと、また感じ入るところがありそうだ。
新茶にぴったりのお茶請け
新茶の美味しい季節になり、毎年のことながら有難くも母から茶をもらった。そして、折よく和菓子をお客様のお姉さま方から頂戴した。
あんまりおいしかったので、まとめておこうと思う。
とらやさんの和三盆

美しい。
それだけでなく、口のなかに入れるとほどけるように滑らかに溶けて、繊細で上品な味わいだった。
単に見栄えの問題で色が違うかと思いきや、それぞれ香りが違った。
白は薄荷、黄は生姜、緑は柚子、桃は梅、茶は肉桂。
ニッキを肉桂と書くのははじめて知った。
和三盆と落雁の違いもはじめて知った。
米や麦の粉を混ぜて固める落雁よりも、純粋に和三盆(砂糖の意)だけを固めた和三盆の方が高級品とのこと。

懐紙や塗りものみたいな素敵アイテムはあいにく持っていないので、あるもので楽しんだ。この機会に懐紙のことを調べたら、ちょっと欲しくなった。
和菓子のようにやわらかい うめみつぼし

びっくりする……というか、正直に言うと慄く(いろんな意味で)くらいの大粒で、立派な梅。
お茶請け向きに甘めに漬けてあるけれど、甘すぎず、さわやかで上品な甘み。
暑い季節のお茶請けに最高だと思う。
好き。
だけど、こんな立派な梅、たぶん自分ではビビッて買えない。
塩ひよこ

甘さ控えめなのに、 しっかり塩が利いていてコントラストがはっきりしたお味。
フォルムは慣れ親しんだそのままなせいか、あのやさしいお味がインプットされているため、口に含むとちょっと混乱する。
頭からいくか、尻からいくかは人それぞれ。
私は頭からガブリ派。
こちらも暑い時期のお茶請けにぴったり。きっと冷茶でもおいしい。
こうやって、たびたび珍しく、美しいものたちをいただけることのなんて幸せなこと。
いただきものそのものも嬉しいけれど、普段の生活で、お家で、ちょっとでも私どもの存在を思い出していただいていること自体が、大変光栄だ。
ていねいな生活に憧れがあるものの、粗削りに毎日を消費しているので、こういう雅なお菓子をいただくとはっと我に返ったりする。
毎年新茶を贈ってくれる、実家の母もありがとう。
THALGO(タルゴ)の入浴剤について
12年前から私の職業は自営業であり、エステティシャンだ。
職業柄、化粧品やそれに類するものとずっと近い距離にあり、多くの製品を眺めたり、実際に手に取ったりしている。
化粧水や美容液なんかだと、モロに仕事に関わってくるものなので自然と見る目は厳しく精密なものになるけれど、入浴剤なんかはその範疇のちょっと外側にあるものなので生暖かくリラックスした姿勢で付き合えるので、とても楽しい。
昨年の12月に自店にとっては目新しいクリスマスイベントを開催した。(そのうち書こうと思いながら、あっという間に半年以上経ってしまった…)
その際に利用したのが、THALGO(タルゴ)の入浴剤だ。
タルゴとはフランスの化粧品メーカーで、分類としては「高級スパ化粧品」になると思う。
タラソセラピーの思想に基づいた化粧品で、機能性を重視しているというよりは、その思想やトリートメントを受ける際や使用の際の満足度、充足度に重きを置いていると思われる。
実際、香りやテクスチャーなんかは、同じくフランスのメーカーPHYTOMER(フィトメール)と同様に他のブランド・レーベルとは一線を画す素晴らしさ。
そのタルゴには、有名な……というか、代名詞と言っても良いくらいの入浴剤がある。

左上(ブルーのパッケージ):
マリン アルゲ 税抜定価6,800円 40g×10包
右(白):
クリームミルクバス 税抜定価3,500円 28g×6個
下(円形):
ラグーンウォーター ペブル 税抜定価4,500円 33g×6個
小市民なので、エステのようなことを生業にしていても、その価格にはちょっとぎょっとする。
この三種の入浴剤のなかで特に有名なのは、「マリンアルゲ」
三種の海藻を特殊な技術で粉末化した、海藻100%の入浴剤である。
ちなみに湯に溶かすとこんなことになる。

うん。
昆布茶かな? そう、昆布茶である。
色はもちろんのこと、香りもそれに近い。
クリームミルクバスとラグーンウォーター ペブルは本当に香料が素晴らしくて、まるでパルファムを落とした湯に浸かっているかのような贅沢さがある。
しかし… マリンアルゲの匂いといったら……
いや、海藻100%であることがウリで、実際成分表示を見ても、
ラミナリアディギタータ
ヒバマタ
リソサムニウムカルカラム
と、香料のこの字もない。
当然である。
当然だが、度肝を抜かれた。
しかし、マリンアルゲの真価はその香りとは関係ない。
保湿力はやはりそこいらの入浴剤にはない感じ。
今年に入り、筋力維持と心肺機能の維持のためにプールで泳ぎはじめたのだが、やはり気になるのは塩素による肌と髪へのダメージ。
マリンアルゲは塩素で傷んだ肌をやさしく包んでくれる。このうえなく。
なかなか目にすることがないし、価格的にも勇気が要るけれど(庶民は!)機会があればぜひお試しあれ。
千葉・一棟貸し古民家の宿「まるがやつ」へ行ってきた
展示会のあと、千葉県は大多喜町にある古民家の宿に行ってきた。

今回宿泊した「蔵-KURA-」

左手には母屋の「葺-KAYA-」がある。

入り口入ってすぐ。
左手に下に小さな下駄箱、その奥には近代的なキッチンが。

正面には階段とその下にソファ。

階段はかなり急なので、小さなお子さんや足腰の弱い方はきつそう。(忍者屋敷みたいで素敵だったけど!)

階段を上がって正面は小さな書斎スペース。

書斎の左手奥が寝室。

にじり口のように、ほんのり低くなっていた。

間接照明と程よい閉塞感でリラックスできた寝室。
天井は梁が剥き出しでしたが、紗のような薄布がかけられていた。蚊帳のような効果があるのかも。
江戸時代に建てられた築200年の建物ということで、大変趣きがあって素敵。
車の音ひとつしない静かな夜に、蛙の鳴き声だけが響いているという、なんともいえない非日常感。
店内インテリアになにか刺激をもらえればいいなぁと思い、強行スケジュールだったが足を運んだ甲斐があったというもの。
北海道から来た人ははじめてだったそうな。
何かのついでに行くのではなく、ここメインで行って、何泊かした方が満喫できそう。
千葉方面に向かうために乗った、帰りのいすみ鉄道の車内から、晴天の空にはためく萱-KAYA-の真っ白な暖簾がひと時だけ見えてとても印象的だった。
また行きたい。
一棟貸し古民家の宿「まるがやつ」