2006年の今頃は確か、春からの開業に向けて準備に奔走していたと思う。
希望に胸を膨らませて──などということはなく、ただタスクを粛々とこなしていたはずだ。
それは希望よりも不安の方が大きかったためと述懐してみるが、どうもそうとも違うような気もする。
若いときも今も思慮深い方であると自負しているが、それでもやっぱり恐れを知らなかったのだと思う。
あれから18年も経って、今もあのとき立ち上げた仕事をしているとは思いもしなかった。
思慮深いが計画的な方ではない。
金銭には執着がないし、社会的地位にも興味がない。
そのせいか現実に事をうまく運ぶことにはあまり価値を感じないのだろう。
金かステイタスに関心が高ければ、もう少し地に足をつけて生きていけただろうに、全く思っていたより残念な大人になったと思う。
こんなんだから、3年前子どもが生まれた後はちゃんとした大人にならなければ──と気張りすぎて、妙に保守的に考えたり、打算的に考えたりするようになって全く自分らしくなかった。
変化と複雑さを面白がる方だが、子どもの誕生によって激変した生活環境に、コロナ禍という壊滅的な変化が加わって自分なりに少し混乱していたのかもしれない。
しかし、何があったって、今さらちゃんとした大人になどなれるものか。
ちゃんとした大人になれる素養があったなら、そもそもこんな生き方選んでないはずである。
3年半も迷走して2023年末に何やら急に目が覚めたような感じがした。
2024年は自分らしい考えのもと、選択と行動を重ねていく。
その結果起きる事柄については自分で自分の尻を拭う。
いつだってそうしてきた。
好んでリスクを冒すわけではないが、いつしかリスクを負わないことが目的に挿げ変わってしまっていたように思う。
これでは、ちゃんとした大人になれなかったばかりか、つまらない大人になってしまっていた。
年を経ると良い点も悪い点もある。
積み重ねた経験と膨張した知識を糧に、危険をうまく制御しながら難しい課題に挑戦するというのは20代の頃にはできなかったアプローチだ。
年を食って良い点を最大限に生かし、悪いところはうまくなだめすかしながら仕事していきたいと思う。
うちの子どもは親ガチャに外れたのだろう。
世間一般で良い親とされるような条件や環境はきっと用意してあげられない。
しかし、悪条件の下、針穴に糸を通すようにしてこの世に生まれてきた子どもだ。
もちろん主治医をはじめとして、たくさんの医療関係の方々のお力添えがあったからで、感謝している。
病気がなければ私の人生に子どもはいなかったと思う。
彼自身の生命力と人生を楽しむ力を信じ、彼と自分の両方を尊重しながら親の責任を果たしたいと思う。
……「年頭所感」なのに、今日は1月11日である。
年明け1月4日に気持ちも新たに意気揚々と職場に来た。
しかし、翌日子どもは熱を出した。
風邪らしからぬ突発的な高熱だった。
嫌な予感がした。
アデノウイルスだった。
そういえば、年末咽頭結膜熱に罹患したお子さんがいらっしゃると園の掲示板で見た。
1週間飛んだ。
お客様にお詫びのメールを差し上げた。
物理的に仕事をできる時間は、子どもがいない時と比べて滅茶苦茶減っている。
お客様をはじめとして、人に迷惑をおかけすることも増えた。
心苦しい。
しかし、これが今の条件だ。
この条件下で何をどこまでできるのか考えて実践するしかないのだろうと思う。